真珠湾紀行
前回のエントリで書いた通り、今カナダへ絶賛移動中です。この記事を書いているのもホノルル→アトランタの機内です。ホノルル時ではPM9時頃なんですけどアトランタ時間AM4時頃。ややこしいです。
さて、ホノルルで飛行機の乗り換えまでの時間が暇なので、真珠湾にいってきました。アリゾナ記念館です。アリゾナっていうのは、アリゾナ州のことではなく、それにちなんで名付けられた戦艦アリゾナのことです。1941年の日本の真珠湾攻撃で撃沈された戦艦の中のひとつです。
現地のバスに乗るのには2ドル75セント必要です。(5ドル50で1日乗り放題パスが買えるので、今思えば行き帰り2回は乗ることを考えるとこっちの方がお得でした)
最初乗ろうとした時、小銭が25セントしかないことをバスの運転手のお姉さんに恐る恐る伝えたら、
「まじ?じゃ両替してきてね。じゃ!」
と無表情で断られました。すごいあっさりです。これがアメリカンスタイルなのでしょうか。
というわけでスタバで買い物ついでにレジの人に両替をお願いした後、數十分待ちぼうけをして、バスに揺られることさらに20分。
つきました!アリゾナ記念館です。
屋外の展示物は海外の戦争記念館にはありがちな感じで、第二次大戦以降の様々な兵器のレプリカが置かれていました。あとは真珠湾で亡くなった兵士の方々への碑とかですね。海軍管轄の施設なので、海上兵器・船の乗組員のものが中心です。
屋内展示はより第二次大戦前後の歴史にフォーカスした感じで、いかにして日本が軍事独裁国家へと変貌していったのか、いかにして真珠湾攻撃が成功したのかなどが説明されていました。日本が軍事国家に転落した経緯は日本史でやった内容と大体一緒だったので飛ばして、真珠湾攻撃の話について書こうと思います。
真珠湾は当時アメリカの太平洋前衛基地として重要な役割を担っており、山本五十六を筆頭に日本軍はここに打撃を与えないと東南アジアに戦線を拡げることが不可能だと理解していました。そのため成功率を少しでもあげようと奇襲という形となりました。しかし、それは理解していながらも、真珠湾は浅いので航空機から魚雷を放つことは不可能だと考えていたのもあるのでしょう、アメリカ軍の側は、正直航空機による急襲はないと考えていました。むしろ現地の日系人の反乱*1を恐れて飛行機をギッチギチに詰めて駐機したり(爆撃の格好の的です)、当時としては最新鋭の兵器である、レーダーで日本軍の飛行機を検知したにも関わらず自軍の戦闘機だろうと誤認しました。
一方日本軍は、特殊なフィンを後部につけた新型の魚雷を作成。熟練したパイロットが飛行機の高度・速度・姿勢を高度に制御しながら放つことで、最大海深たった30フィート程度で巡航できる魚雷を開発していました*2。また、同じく新たに開発された投下爆弾は、20センチの鋼板も貫ける威力を持っていたそうです。すなわち、一撃で軍艦の火薬庫に火をつけることができる威力を持つということです。
これらの新兵器、日本軍の緻密な作戦、そしてアメリカ軍の油断が重なり、真珠湾に集結していたアメリカの戦艦はその巨砲の威力を活かすことができないまま多くが破壊され、空母(aircraft carrier)の重要性が認識されるようになりました。戦艦の時代は終わり、海戦の多くは空母と護衛艦で行われるようになります。
ルーズベルトは翌日「12月7日は我々の顔に泥を塗られた日だ」と会見。第二次世界大戦が始まります。「リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」を合言葉にアメリカは強く結束し、ミッドウェイ海戦で日本に大勝。真珠湾攻撃に使われた船舶の多くを撃沈し、「復讐」は果たされることになりました。
……こういう、「教科書に史実としては載ってるけど細かくは何があったか知らないこと」の解説ってめっちゃ知的好奇心そそりますね。
そのあとは、そのまま帰ろうかと思ったのですが、真珠湾を船で回る無料ツアーがあったので参加させていただくことにしました。本当は整理券が必要なのですけど、海軍のお兄さんがこっそりいれてくれました。優しいです。僕が日本人だからぜひ見て欲しいと思ったのでしょうか。
ボートで海を進んでいくと、白いコンクリートの塊が見えてきます。側面には"USS Arizona BB"などの文字が。そう、アリゾナやユタといった沈没した戦艦がこの下にまだ眠っているのです。船に飲み込まれた数百人の乗組員と一緒にです。
「その日」、非番だったために生き延びることとなった海兵の多くは同僚たちのことを生涯忘れませんでした。ある元海兵の老人は自分が死んだら遺骨を真珠湾に撒いてほしいと家族に頼んだそうです。海軍の提案により、老人の遺骨は水密シールドされ海の底に供えられることになりました。
こういう話は、日本の資料館でも同じですね。戦争は勝っても負けても兵士にとっては地獄です。韓国の戦争記念館にいった時もそうだったのですが、戦勝国で仮にも軍隊を持っている国なので、日本の資料館のようにアンチ軍隊メッセージはありません。しかし、兵器を沢山展示して、軍隊や兵士を英雄視するような描き方をしたからって、戦争を肯定しているわけではないのです。
ここまで書き終えた時点でアトランタ時間AM8:15なうです。トロントへのフライトが9:30なので、次の記事こそトロントからになりそうですね。
兄にもっと更新頻度あげたら?って言われましたし、書きたいことがあったらどんどん書いていこうと思います。お楽しみに〜!